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ぼくらのクローゼット

埋もれている価値観の中から新しい楽しみと
生き方をいっしょに見つけていくメディア

おじさん・おばさんになりたがる社会へ

~生きる~ シロクマ先生

 街で耳を澄ましても、「おじさんになりたい」「おばさんになりたい」と望む声はめったに聞きません。おにいさんやおねえさんのままでいたい=おじさんやおばさんにはなりたくない。おじさん・おばさんという言葉を敬遠し、おにいさん・おねえさんという言葉をありがたがる風潮はまだまだ根強いようです。
 
 大学生時代の私も、漠然と「おじさん・おばさんは、おにいさん・おねえさんより良くないもの」と考えていました。なぜなら先輩も後輩も「おにいさん・おねえさん」を誉めそやし、当時の三十代や四十代は「おじさん・おばさん」と呼ばれたがっていなかったからです。もちろんテレビや雑誌は「おじさん・おばさん」をダサいと書き立てて、おにいさん・おねえさんを肯定してきました。
 
 「若いことはいいことだ」と喧伝するのは、悪いことじゃないかもしれない。けれども「若いことはいいことだ」と喧伝し続けた副作用として、「おじさん・おばさんは悪いもの」というイメージが社会に浸透していったのが過去の、いや、今日に至る状況だと私は理解しています。
 
 でも、ある時期から私は疑問を感じるようになりました。
 
 「おじさん・おばさんって、そんなに悪いものだろうか?」
 
 「どうして世の中はおにいさん・おねえさんばかり持ち上げて、おじさん・おばさんを敬遠するんだろうか?」
 
 「おじさん・おばさんを敬遠するのは、人生の戦略としてうまくないはずだ。なぜなら、おにいさん・おねえさんばかり肯定しても、思春期はじきに終わってしまうから。年を取るほど惨めになっていく生き方なんて、私はまっぴらごめんだ。」
  
 90年代~00年代当時、こうした私の疑問にきちんと答えてくれる年長者はどこにもいませんでした。少なくともテレビや雑誌には「若さ至上主義」に対する異議申し立てはほとんど見当たらず、団塊世代~バブル世代も若さを延長するライフスタイルを支持しているようにみえました。
 
 哲学者のニーチェは、「狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である」と言ったそうです。皆が若作りに励み、おじさん・おばさんになりたがらない社会が、私にはどこかおかしなもののようにみえました。その違和感をまとめたのが『「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)』という本です。
 
 

おじさん・おばさんへの憧れ

 
 そんな世情を私が醒めた目で眺めていたのは、たぶん、おじさん・おばさんへの憧れがあったからだと思います。
 
 私は地域社会が色濃く残っていた田舎町に育ったため、地元行事や近所づきあいを通しておじさん・おばさんから色々なことを教わり、困った時には助けられもしました。それらが私の“おじさん・おばさんの原風景”になりました。
 
 研修医になってからも、私は素晴らしいおじさん・おばさんに沢山出会いました。
 
 私はコミュニケーション能力の乏しい研修医だったので、非常識なこともやらかし、ときには叱られる事もありました。が、年上の看護師や指導医のおじさん・おばさん達は、右も左もわからない私を、どうにか社会化するためにあれこれ手を焼いてくれました。彼らは間違いなくベテランで、「ああ、この人達に叱られるのなら、きっと彼らが間違っているのでなく、私に問題があるに違いない」と信じるに足りるだけの技術、人間性、懐の深さ、チームスピリッツといったものを持っていたのです。彼らから直接指導を受けるだけでなく、彼らの身振り手振りをコピーアンドペーストすることで、私は精神科医として生きていく目途を立てていきました。
 
 このように育った私だから、巷のおじさん・おばさん評にどうしても納得いかなかったのです。
 
 「世間じゃおにいさん・おねえさんばかり持ち上げているけれど、本物のおじさん・おばさんはこんなに素晴らしく、見習い甲斐のある人達じゃないか!」
 
 おじさん・おばさんが皆みっともないわけじゃない。おじさん・おばさんだからこその妙味や円熟は確かに存在する。なるほど、彼らの容色は衰える一方かもしれない。それでも年上として経験を積み重ね、自分が手に入れたものを次世代に譲っていく所作には、おにいさん・おねえさんには無い値打ちがあるんじゃないか。
 
 だからといって、若さへの未練が経てるほど私も割り切れていたわけではなく、三十歳を迎えた時には一定のショックがあり、毛髪の状態や肌のたるみに歳月を感じる夜もありました。でも、年を取るということは失うことばかりではないことを私は確信していました。加わるもの・積み重なるものもあるのです。それなら、若さの喪失に怯えながら「おじさん・おばさんになるのをできるだけ遅らせる」のではなく、「見習うに値するおじさん・おばさんになれるように準備していく」日々を積み重ねたほうが、将来的に良いおじさん・おばさんに仕上がるんじゃないか――十数年前の私は、そのように推測し、実践することにしました。
 
 これは私自身の人生を賭けたひとつの社会実験でした。いや、過去形にするのはまだ早いですね。しかし首尾は悪くないように感じられます。
 
 おじさんという境地も、悪くないじゃないか。
 
 

おじさん・おばさんの背中を見つめて欲しい

 
 私が幸運だったのは、憧れるに値するおじさん・おばさんの背中を眺めることができたこと、そして彼らを一種のロールモデルとして、彼らのような年長者になるための準備や試行錯誤を重ねられたことだと思います。

 私一人では、きっとおじさんになれなかった。いやいや、同世代の仲間とキャッキャしているだけでも難しかったでしょう。世代を超えたコミュニケーションを経験していたからこそ、私はおじさん・おばさんを組み立てていくための材料やヒントに事欠きませんでした。
 
 だからもし、あなたが素敵なおじさん・おばさんになりたいと思ったなら、まず素敵なおじさん・おばさんを探してみて欲しいと私は思います。そういう年上は、もしかしたら身の回りにいるかもしれないし、記憶の奥底に眠っているかもしれない。とにかく自分一人だけが年を取っているわけでなく、みんな不可避的に年を取り、それぞれがエイジングのエスカレーターのなかでベストを尽くそうとあがいていることを思い出してください。
 
 おじさん・おばさんになる/ならないの悲喜こもごもは、あなただけのものじゃない。私だけのものでもない。みんなのものなんですから。
 
 私達の人生にはそれなりの多様性がありますが、エイジングの道は、若きから老いへ、年下から年上へと一直線であり、例外はありません。道に迷ったら周りの年長者から学べばいいのです。テレビや雑誌を情報源にするのでなく、生のおじさん、生のおばさんを見つめましょう。敬意をもって彼らの生きざまを学べば、きっと色々なことが見えてくると思うんです。「おにいさん・おねえさん至上主義」の世論のなかでかき消されがちな、おじさん・おばさんの素晴らしさや面白さが。

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