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ぼくらのクローゼット

埋もれている価値観の中から新しい楽しみと
生き方をいっしょに見つけていくメディア

誰も教えてくれない本当の「おじさん」になる方法

~生きる~ RECOMMENDS

【精神科医シロクマ先生の不惑日誌】

 

 今年40を迎える精神科医の熊代(通称シロクマ)と申します。この歳になってやっと、自分がおじさんになった手ごたえを感じているのですが、思春期とは大きく異なった境地にまだ戸惑っています。

 おじさんって、こんなに変化しないものだったんですね。精神科も家庭も趣味も頑張っているけれど、頑張っているからといって何かが変わるわけでもなし、「新しい自分」や「ここではないどこか」に移れそうな気配もありません。似たような場所、似たような状況をグルグル回っているような感覚です。

 思春期の頃は、何か違った自分になりたいだとか「ここではないどこか」へ飛び立ちたいだとか、夢みたいなことを夢見て、実際にやろうとしていました。例えば私の場合、オタク研究家になりたいなどと思ってホームページやブログを一生懸命に頑張っていた時期もありました。そうやって雲を掴むような事をやっているうちに、思惑どおりではないにしても、自分自身が絶えず変化していく手ごたえがあったものです。

 ところが、年齢的にも気持ち的にもおじさんになってみると、「新しい自分」も「ここではないどこか」もあり得ないように感じられるのです。もちろん、年々少しずつは変化しているのでしょうけど、以前に比べれば変化の幅は小さく、近未来の私はこれまでの延長線上から大きく逸れそうにありません。病気やトラブルで脱落しなければの話ですが、ライフスタイルや価値観はさほど変わらないでしょう。

 もちろん悪いことばかりでもなく、「自分は間違いなく自分のまま」「簡単にはブレない」みたいな安定感もあるんです。流行りものや「モテるモテない」に流されにくくもなりましたし、仕事や子育てに腰を据えて取り組みやすくなりました。他人によく見られたい・カッコつけたいと自意識を尖らせる必要性も、今は感じません。

 心理学的に表現するなら、たぶん私はアイデンティティが確立したのでしょうね。世間的に言い直すと、“落ち着いた”ということかもしれません。

 ところが、そういう“落ち着いた”心理的状況そのものに私はまだ慣れていなくて、ときどき、思春期的な判断基準で自分自身を眺めてしまうのです。変化をやめた事への罪悪感、流行を意識しない自分への不思議感、前にも後ろにも動きにくい状況への不安みたいなものを、私は捨てきれていません。“不惑”を迎えた自分自身に戸惑っている、とでもいいますか。

 

 頭で考えているのと当事者になってみるのでは違う

 私は精神科医なので、加齢に伴って悩み事や人生の課題が変化していくことを知識として知っていましたし、年上のおじさん・おばさんが診察室に持ち込む壮年期の悩みから多くを学んでいたつもりでした。ライフサイクル論とか、ライフコース論とか、そのあたりの話ですね。

 だというのに、私自身はまだまだおじさん一年生というか、本腰を入れておじさんとして生きていくための身振りや心構えが出来上がっていないと自覚せざるを得ません。学術書を読んだり他人の悩みを聞いたりしていても、当事者になってみないと実感できない事がたくさんあったのです。

 臨床で蓄えてきた“知識”と、自分自身の“当事者としての実感”がズレてしまった理由の一端は、それまでの私がまだまだ思春期心性を抱えていて、年長者の生きざまをどこか他人事のように眺めていたからかもしれません。「いつか、自分もおじさんの心に変わっていく」ことへの想像力が足りていなかったとも思います。

 それでも私は職業上の役得として、相応におじさんになる準備をしてきたというか、少なくともライフサイクル上の必然としておじさんに至ることを祝福するような心積もりがあったぶん、マシだったのかもしれません。世の中を見渡せば、おじさんになることを否定的にしか捉えられない人、なんとしてもおじさんにはなるまいと求めあがき、外面と内面の若作りに励み続ける人もいらっしゃいます。そのような、壮年期未満なのか思春期の残骸なのかわからない境地は、私にはとても苦しそうなものにみえます。そもそも、年齢不相応な若作りは身体的にも肉体的にも社会的にもしんどく、生物としての道理にも適っていません。

 若者気分や青年気分に区切りをつけ、一人のおじさんとして中年の境地を受け入れるというのは、ライフスタイル上の価値観の大転換にほかなりません。人生の過半を思春期気分で過ごし、それが人間精神のデフォルトだと思ってきた人には簡単ではないかもしれず、「自分探し」に納得がいかないまま年を取ってきた人にも耐えがたいものかもしれません。学童期から思春期への大転換ほどではないので軽視されていますが、おにいさんおねえさんからおじさんおばさんに路線変更するのも、なかなかの試練ではないでしょうか。

 それでも私は、周囲の“おじさん慣れ”したおじさん達に憧れのような気持ちを抱きますし、ああいう境地も悪くなさそうだとみています。仕事や家庭や趣味に安定性を求めるなら、不安定なおにいさんの心を抱えたまま生き続けるよりも、ブレにくいおじさんの心を獲得してしまったほうが気楽でしょうしね。私は、そうしたおじさんのメリットを早くも享受しはじめているのですが、まだまだ不慣れで、ちょっと浮き足立っています。自他ともに認めるような、落ち着いたおじさんとして完成したいものです。 

 

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